Long Goodbye

残された私と息子。そして母と義母
ふたりで仕事しなければ、ふたりで二人を介護しなければ。
やるしかない。

続・母達の半世紀

母達が幼かった頃に二人は母親を喪い


母親の愛情を知らずに育っている



母達が結婚して子供を持った時


子育てのお手本は誰からも教わること


なく それぞれが一人娘一人息子を


育てた 


同じ3人家族の構成でしかも夫は公務員


生活水準も似ている


二人が違っていたのは


母は専業主婦で 義母はキャリアだっ


たところ


母は早婚で19歳で母親になった


社会から学ぶ機会もあまり無かったん


だと思う


義母の方は この時代に働く女性とし


て闘っている 義母の勤めた市役所で


初の産休をとった人


現代とは大きく違っただろう社会


男性社会のなかでずいぶん苛めにあっ


たという 


女は家庭を守れ子供をちゃんと育てろ


等の日常的に嫌みを言われ続けても


「負けなかった」と義母は言った


専門性のある仕事だったから


プライドを持って 女性に厳しい社会


を生き抜いたんだなぁと想像する




専業主婦だった母は兎も角、


仕事を全うし、社会経験豊富な義母で


あっても 舅姑との世話や介護の色々


は経験の外にあったので分かっていな


いように思う


母達が結婚後にそれぞれ父親まで喪っ


ている


実親の世話をする機会はなく


舅姑の世話は兄弟のお嫁さんが担って


くれて それぞれ父の兄嫁が、義父


の弟嫁が、世話をして介護をして


結局 最期まで看取ってくれた



今なら私もその頃の叔母たちの苦労を


少しは想像出来る


想像して母に代わり義母に代わり


頭を下げたい気持ちでいる


すでに叔母たちはもう居ない


ありがとうの労いの言葉を


母達は伝えて来たのだろうか




叔母の娘(夫の従妹)に会えば あの頃の


祖母の介護がどれだけ大変だったろう


と労いと感謝を伝えている


特に義母の前で従妹に叔母の話をする


すると義母は決まって


「叔母さんは偉かった」の後に 


「私は仕事があったから無理だった」と


言う


心は言い訳に傾く


叔母の介護の苦労は未だ想像出来ない


その事がなんだか 少し悲しい 


      ( つづく )

母達の半世紀

母と義母 性格は対照的と言えば


確かに対照的だけど、共通経験が多々


ある


年齢的に戦争の時代を過ごしてきた


経験は当然だけど


それぞれ広島と長崎で被爆している


母は12歳 義母は19歳だった


母にはよく当時の事を聞き出そうと


していたけれど、学校の校舎で被災


した様子はごく簡単な状況の説明だけ


それ以上は語ってくれなかった


義母も自分からは語らない



それより前 幼かった時に二人は母親


を喪っている


二人には手本となる母親像がない


(母親と接していて感じる違和感の


素因はここにあるとずっと感じていた)




母は戦争中でも経済的に恵まれていた


ようで母親の居ない家庭であっても


家事を強いられることはなかった


私がお婆ちゃんとよんだ後妻さんは


厳しい人だったようだが


母がシンデレラになることはなかった



義母は 3人の姉達が母親となり


至れり尽くせりの世話をやいた


義母は 家事一切やったことがない


だから得意ではない


甘やかされて 甘えん坊で


だから、「私は泣き虫なの」 と言う



二人は結婚後 間もなく父親を亡くし


たが、支えてくれる夫が居たのだから


幸せだったと思う

今ある不安を・・・

会話が頭に入っていかないのが認知症



今聞いたことが秒速で消えてしまい 


また同じ事を質問してくる


何度も、何度も



もし私と息子が同じ会話をしたら


きっとキレて


( ̄^ ̄)

「おんなじこと何度も聞くなよ!」


ってことになるだろう


(`へ´*)ノ

「だからッ! ××だって!」



(*`Д´)ノ!!!

「何度も言ってるだろう!」って


息子 キレる、きっと



同じ事を夫が義母にとうとう怒って


『何度も言ってるだろう!』


って言ってしまったことがある


5年くらい前だったかな 


とにかく温和で我慢強くもある夫の言


葉とは思えず その場にいた私と息子


はびっくりして固まった



あの時 義母は義父の死で認知症が


より進んでいたんだと思う


義母との噛み合わない会話 


繰り返される同じ問いに 


もういい加減にしてくれよ


という気持ちで夫はキレたんだね



それは こちらが言ったことを相手は


理解できると当たり前に思っている


からなんだと思う


無意識に当たり前が大前提にあるんだ


と思う




その大前提で 私は母達と会話してい


るんだね 


説明したんだから分かるでしょ?


分かるよね? のスタンスで母達に向


かっていたんだと思う


だから、何度でも説明していた


「なんで分からないの!」って気持ちで



こんな消化不良のイライラな会話で


時には爆発しそうにもなり


説明してると言いつつ


まるで説教してるみたいになって 


私はなにをしたいんだか


こんなの私にも母達にも良くない




ホトホト疲れはてた頃 


体力 気力はもうーー出ないって時は


手抜きやむ無し


軽い相づち「うん。うん」


頼まれ事には


「了解♪」「うん 分かった♪」


質問には「それは×××よ♪」




意図したわけではないけど


そうしていくうちに


母達の 


いったい何が気になるのか


不安なのか、心配なのか、


何に執着しているのか、


それが見えてくるようになった



ある時は財布にお金がないことの不安


お中元のお返しは済んでいるかどうか


のしんぱい


明日もデイサービスなのか


老人ホームには行きたくない


つまり母達の会話は極限られたテーマ


しかないんだね


イライラする会話の中で


母達はサインを出しているんだね



だったら 安心出来る一言や


優しい相づちで今の不安を除いて


あげればいいんだね


落ち着いて 穏やかに過ごすことを


目指したい