Long Goodbye

残された私と息子。そして母と義母
ふたりで仕事しなければ、ふたりで二人を介護しなければ。
やるしかない。

母達の半世紀

母と義母 性格は対照的と言えば


確かに対照的だけど、共通経験が多々


ある


年齢的に戦争の時代を過ごしてきた


経験は当然だけど


それぞれ広島と長崎で被爆している


母は12歳 義母は19歳だった


母にはよく当時の事を聞き出そうと


していたけれど、学校の校舎で被災


した様子はごく簡単な状況の説明だけ


それ以上は語ってくれなかった


義母も自分からは語らない



それより前 幼かった時に二人は母親


を喪っている


二人には手本となる母親像がない


(母親と接していて感じる違和感の


素因はここにあるとずっと感じていた)




母は戦争中でも経済的に恵まれていた


ようで母親の居ない家庭であっても


家事を強いられることはなかった


私がお婆ちゃんとよんだ後妻さんは


厳しい人だったようだが


母がシンデレラになることはなかった



義母は 3人の姉達が母親となり


至れり尽くせりの世話をやいた


義母は 家事一切やったことがない


だから得意ではない


甘やかされて 甘えん坊で


だから、「私は泣き虫なの」 と言う



二人は結婚後 間もなく父親を亡くし


たが、支えてくれる夫が居たのだから


幸せだったと思う