Long Goodbye

残された私と息子。そして母と義母
ふたりで仕事しなければ、ふたりで二人を介護しなければ。
やるしかない。

小さい母と大っきい義母

私の頭の中には、大事な三つの義務が

あります。


一つ目はモチロン、母と義母のこと。


なんで1番目なのかと言うと、何より最優先は命だからです。というか、


最優先は命だったと分かることが何度も有るからです。


日帰りとんぼ返りの出張の日


近県のある企業にアポをとり、息子の運転で高速道を一時間ほど走っていたとき、私の携帯が鳴りました。


出張の前日は毎度想像しちゃうんです。うっす~ら嫌~な(この日に限って、とかを)想像しちゃったんです。


想像するから起こるんですよね。


義母のディサービスのお迎えに来たスタッフの方から「ピンポンしてもお返事がありません!」


えェ―!!!です。

『あーッ ! うーッ !

分かりました!直ぐに戻ります!』


U ターンです。

アポ、マズイでしょ。


なにがあったのか、

具合悪くて起きて来れないのか、

最悪前夜から倒れていたりしたら・・・


いったい何があったんだあぁぁ~(((((゜゜;)


無事でいて~~~


ちょこっと?飛ばして高速道を走る

息子とあれこれ想像して、

あーだこーだで

もうくったくたです。


高速道を出た直後のタイミングでスタッフさんから電話。


「今施設にお電話がありました~

寝坊されたそうです~」


寝坊?寝坊?寝坊かあぁ~ぁ


「今日は休むとおっしゃってます~」


いやいや ディの日だから私達出張なんです


『ご迷惑ばかりですみません!

これから義母をそちらに連れて参ります~!』


「いえいえ大丈夫ですよ~。

こちらで車出しますから

出張にそのまま行かれて下さ~い☆」



(あんなこんなのサプライズ。

ゲームの如くクリアしてみせるぞぉー)


二つ目は自分の老後準備。


(母・義母の振り見て我が振り・・・考える・・・いつ、施設行きを自分に宣告出来るのか?ボケたら私も母達みたいになるのか?)


三つ目は仕事です。


仕事が有っての生活、介護、老後なのです。

食べていくにも、母達のケアやサプライズ?・・・というかイレギュラー事態に対処していくにも、息子一人に私の介護などさせられないと心して老後の準備をするにも、


これら全てを仕事が支えるんです。


老後やお仕事のことは後日。

めざせ要介護2

出来ない事が次々に起こってきて、その度仕切り直し、やり直しをやるんです。


昨日まで工夫していたことが

今日は逆に不味いことになり、仕切り直し。


危ない!まずい!ヤバい!

昨日まではOK

今日はもう無理 の連続


薬には悩まされました。

朝昼夕+寝る前の薬、1日4回の服用薬


くすり用の袋を作って、日付と曜日と朝とか昼とか書いて、テーブルの目立つ所、目につきやすい所に取りやすさも考えて置きます。


カレンダーを睨みながら、

「ああ~今日は火曜? そうよね?」


『そうそう。ちゃんと飲んでね♪』

「大丈夫!」


これならなんとかいけるでしょう




ところが、ところが、

おやっ! 飲んでないじゃないの!


たとえ日にちや曜日が分かっても、薬を飲むこと自体を忘れてしまってる。


準備は無駄、意味がないになりました。


この方法じゃダメだってことになると

また仕切り直し。

これでもかこれでもかと、やり直す。イヤほど続きます。


母は毎度

「そのくらい出来るよ」


テレビの前の所定の椅子にずっと

座りっぱなしで、動くのはトイレと冷蔵庫くらい

「自分でやるから」そして「大丈夫!」


もう無理かな、

もっと人の助けが必要なんだね。

私だけじゃ限界が有るんだね。


気づくんです。

助けて、と言おう・・・です。



春、要支援2のままの通知が来ました。


再審査を申請しました。


要介護1になりました。


しかし、再々審査申請。

変わらなければまた再々々審査を申請だ💨



良かったぁ~です☆

先ずは再々で結果が出たので良かったです。

要介護2になりました。


義母と並びました。


特養施設には3が必要なら

やるしかないと思っていますが、 

ショートステイを利用出来るようになったので

お薬の事はひとまず安心です。


自分だけでは限界が有りますね。

人に(行政に)頼ることも大事です。

続・要介護2

母も義母も共に要介護2


母が帯状疱疹で入・退院した後、直ぐに

介護申請の手続きをしました。


認知症テストの結果をうけて、また病後のサポートも必要だと思えたので

手続きに動きました。


要支援2の判定でした。

少しでも介護支援して頂けると

本当に助かります。


昨年末まで要支援2のまま過ごしましたが、その間母の“出来ないこと”が次々と起こってきました。


曜日と昼食か夕食か、区別して分かりやすくセットした冷蔵庫の中の食事を


次第に、食べたいものだけをつまみ食いして、その上食べかけのお皿がテーブルに乱雑に放置されていました。


夏場が心配でした。

残ったものは廃棄です。

無駄な努力も、お金も、まぁ仕方ないか


その頃になると、どんなに工夫しても

かかりつけの病院のお薬を飲んでくれなくなりました。


大事なお薬なので、悩みました。

一番のストレスでした。

腹も立ちました。

困るのは貴女デスヨ!!!


昨年末まで、要支援2で頑張りました


が、足りない!・・・!!!