Long Goodbye

残された私と息子。そして母と義母
ふたりで仕事しなければ、ふたりで二人を介護しなければ。
やるしかない。

忘れてしまうみたい


ふり返って考えてみると、どうも私はその都度忘れてしまっている。


印象に残る母とのすったもんだの出来事も、


その概要は勿論覚えてるんだけど


物凄いストレスだったはずなのに


そのストレスが蓄積されてないような


忘れちゃってる気がします。



短期間に起こる次々なトラブルは


確かに積み重なって凄いストレスに


感じるんだけど、


(いつもなんとか解決していって)


しばらくすると、冷静になって


そして忘れてしまうみたい。



だから、母との平行線な会話が


イチイチ残ってない。


有るのは今日の心配、明日の心配。


ストレスな事を想像しているだけなのかなぁ?


・・・忘れるって、私も危ないのかなぁ?

息子の涙


あわてて決行した小っちゃい母の入所から10日ほどが過ぎた



その間に息子と二人で出張✈💨


今の仕事はある意味チャレンジ


これまで経験した業界とは違うので


初めて知ることばかりなんだけど、


基礎的なことはこれまでに積み上げた


ものも有るのだから


やるっきゃない💨

 


出張の時には、いつも、毎回


仕事脳が9割


母達の心配脳が1割


みたいな状態を抱えていた


付きまとっている感じだった。


母達をショートで預けての出張は


落ち着かない半端なストレスがあり、


それがボディブローのように利いてくる


いつも、帰りの飛行機に乗る頃には


・・・明日はショートから帰って来る


・・・明日からまた介護だ


どっと憂鬱が押し寄せて来ていた。



小っちゃい母だけなんだけど


入所のお陰で心配が半分になり、


少し楽になれるかなぁ。                     



入所可能の連絡を受けた日 


その日の夜、私も息子も寡黙だった


翌日、二人でそれぞれの思いを吐き出した 


入所させる事に少しの後ろめたさを


感じてしまった。


母のことを思い、沢山考えて、納得して


行き着いた結論だったはず。


それでも、いざ入所の連絡をもらった


途端に気持ちは振り出しに戻る


自分でも戸惑った。


母は幸せだったかな?


今幸せなのかなぁ?



息子が目に涙をためながら言った


「頭ではわかってるよ。


バーバの為にはこれが一番安心でき


るって。


だけどね、だけど・・・なんだよね。」


二人して涙した。

5歳児

出張の日を考慮して母の入所をバタバタと決行


特養施設へ移動するために車で一時間程のショートステイ施設へ息子と一緒に母を迎えに行った


母には『仕事でしばらく出掛けるから新しい所にお泊まりしていてね』とお願いした


「出張」を理由に施設にお泊まりするというのが定番化できたのは 


毎回協力をお願いするという姿勢を続けてきたからだと思う

(娘と孫の仕事には自分も協力せねばの

気持ちがある母なのです)


あれこれと理由や事情を説明しても

母の頭の中には入っていかない


すると 理解出来ないことに混乱して不安になる


不安になると他の不安まで起こしかねない



母の頭の中では


娘と孫は仕事で海外出張

  ↓

その間施設でお泊まり(どこの施設かはわかってないんだけど)

  ↓

数日後(だと思っている)に自分ちに帰る


この法則が頭の中に出来上がってきている



今度も母は「うん 分かった!」と言ってくれた (ありがとう~バーバ)




以前、と言ってももう20年以上前のこと


同じ手口?を保育園児だった息子に


使っていたことを思い出した


出張に出る時「仕事だから」の一言だけで


5歳児に理解することを押し付けるのは


いけない気がして


中身は分からなくても 説明する姿勢


を怠らなかった


向き合って一生懸命説明する母親を


5歳児と言えども協力しようとするものだ


「うん 分かった!」


5歳児が頑張ってくれた 




認知症に付き合っていくうち


母は5歳児なのだろうか?と


思ったりもする