Long Goodbye

残された私と息子。そして母と義母
ふたりで仕事しなければ、ふたりで二人を介護しなければ。
やるしかない。

要介護 2

独り住まいの母が3年前に緊急入院

した。

頭から右半身の肩にかけて帯状疱疹が出て、ギリギリ危なかった。


2週間程で退院できましたが、そこから認知症が顔を出し始めました。


入院中に物忘れ外来でのテストをお願いして

結果、軽い認知症。入り口に立っています・・・と言われ、びっくり。


普段から母に

『100から7引いて、言って見てよ』

と言うと、結構なスピードで

「100,93,86,・・・・16,9,2 !」

どうよ!って顔でクリアする。


私より速い。

だから、80歳はまだまだだ、と思っていたのに。


退院後は月毎に変化が顕れて来ました。


適当とか、緩いとか、いい加減とかに

無縁の潔癖症の母が

何んにもしなくなりました。


2.3日分の食事を、車で小一時間かけて母に届け始めました。


冷蔵庫には曜日と昼食や夕食と書いたカードと、1食分の食事をセットした小さめのトレーを並べる。


冷蔵庫まで母を誘導して冷蔵庫の中を

目で見てもらう。

『食事はここに有るから、順番通り食べてね♪』



初めは何とか上手くいきました。

10代の自立

 

私の家族

父と母と一人っ子の私は転勤族でした。

転勤は2年毎。


小学校6年生と中学校1年生の2年間が

一番辛かったなあ。


小6(公立)、中1(私立)、中2(公立)と

毎年、初めましての自己紹介を

やらなきゃならなかった。


毎年、新しい友達を作らなきゃならなかった。

(まぁ、そのお陰で初対面には強くなり、今もすぐにお友達に成れますが・・・)


で、父、母に『私、もう付いていかない!!!』宣言をしました。


『独りで住む ! 高校はちゃんと3年間

同じ所に行く!』


父は至極尤もな意見だ、抗議だ、

と思ったのかどうなのか?


一人っ子の我が儘をすんなり了承してくれました。


私の自立第一段階でした。

あの時代は、ほぼ却下! という時代。

母はオロオロでしたが

父は思う所があったんでしょうね

転勤でいつも可哀想って。


思いつきのような抗議も

その後の私の生き方に大きな影響を

与えてくれました。


私の自立心って、一人っ子の我が儘から生まれたようなもの。


この自立心がその先ずっと母との

葛藤を作り出したような気がする。


厄介ですよね。母と娘。

私の母

私の母は17.8歳で10歳上の父と

結婚しました。


私が産まれたのは母が19歳の時です。


子供の頃、母が同級生のお母さん達より若い事を少し自慢に思っていました。


10歳も歳が違うと、母の至らなさは

父にとって「しょうがないなあ~」程度の事だったのでしょう


怒ったり、説教したり、叱ったりという場面を見たことがありませんでした


なので、

母は社会の色々を父から教わる事が

ありませんでした


面倒だったのか、諦めていたのか、

どちらにしても

放置していたのです。


それが回り廻って父を苦しめていたと

思います。


私が二十歳の時、父は家を出て行きました。


「○子なら、分かってくれる」

と母にそう言って、出て行きました。


そんな言葉があったことを

私はずっと知らないままでしたが、

最近、母から聞かされました。


「ええ?」

『あら 言ってなかったっけ?』


私は一人っ子です。

当時母と二人っきりになることが

どんな事になるのかなど、

わかりませんでした。


父の 「いち抜けた」「あとはヨロシク」

みたいな、そんなの親が子に?

って、今だからそう思います。


母は可愛らしい人です

人なつっこくて、愛想よくて、

ケアマネさんも施設のスタッフの皆さんも

そう言って下さいます。


そのとおりではあるんですが・・・


どうして、こんなに永い間私は

苦しんでいるんだろう?